amor mundi

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Politik ist angewandte Liebe zur Welt.
"Vor drei Wochen, kurz vor seinem 75. Geburtstag, sprach Johannes Rau mit dem Rundfunk-Sender Radio Wuppertal. Es war sein letztes Interview:

Rau hat gesagt, da habe ich gelernt, daß Politik, wie das Hannah Arendt immer gesagt hat, angewandte Liebe zur Welt ist. Also nicht eigene Karriere, sondern Ziele haben, vorgeben, durchsetzen, dabei die Menschen mitnehmen - das war immer mein Prinzip."
von WELT ONLINE(http://www.welt.de/print-wams/article137885/Politik_ist_angewandte_Liebe_zur_Welt.html)


Johannes Rau(1931-2006) war ein deutscher Politiker und von 1999 bis 2004 der achte Bundespräsident der Bundesrepublik Deutschland. Damals hat er manchmal diesen Denken gesagt. (z.B. http://hannaharendt.net/documents/baldwinII.html)

Ich denke auch, Politik (für Hannah Arendt) ist Liebe zur Welt, d.h. amor mundi. Es ist wichtig, Menschen, seine Denken, vielverschiedene Kultur, Vielfalt auf der Erde zu lieben, wenn man mit anderem Menschen zusammen leben. Der Krieg zeigt nur das Versäumnis von der gegenseitige Diplomatie oder Verstehen.
| 05:04 | world | comments(0) | trackbacks(0) |
Audio 2011

Eine Freundin von mir hat mir gezeigt:

Films
Was Frauen wolle?(Was woman will?/ハート・オブ・ウーマン)
Der Schuh des Manitu
Keinohrhase
Stadt der Engel(City of Angel)
Schlaflos in Seattle(Sleepless in Seattle/めぐり逢えたら)
10 Dinge, die ich an dir hasse(10 Thing i hate about you/恋のからさわぎ)
einige Films mit Romi Schneider(Sissi)
einige Films mit Heath Ledger


Drama auf Koreanisch
Secret Girl
You're Beautiful(イケメンですね)

| 18:13 | film and show | comments(0) | trackbacks(0) |

 いとしいとしといふこころ
(=愛し愛しと言う心)

「愛し」は「糸」と掛けられており、2つの「糸」のあいだに「言」を挟み、その下に「心」を入れることで「恋」の旧字体「戀」が出来上がる。
 他にも種類はあるけれど、まだ旧字体が使われていた頃、子どもたちが漢字を覚えるのに詠われていたものの一つ。戦後の文字改革によって、「戀」「櫻」「藝」など、今はもう目に付かなくなってしまった漢字は勿論、こういった伝統が廃れてゆくのもまた寂しいなぁと思います。


 文字改革はかなり昔から政に持ち出されていました。
 例えば1866年には前島密によって漢字廃止が、時の将軍徳川慶喜に提案されているし、1946年には志賀直哉が日本語に変えてフランスを公用語にしてはどうかと公言している。そして同年、GHQによって漢字全廃に向け、まずは当用漢字(当面は用いることが認められた漢字)が定められた。これは後に常用漢字と名を改められ、今に至っている。というのも、GHQの試験によって日本人の識字率の高さが証明されたから、という理由があるらしい。日本では分け隔てなく、寺子屋にて子女が読み書きそろばんを習うことが出来た。逆を言えば、欧米諸国には奇異に映った、ということは、当時の欧米諸国における読み書きの差別化が見て取れる。
 ともかく今なお日本人は日本語を使い、文字も世に珍しく3種類(漢字、カタカナ、ひらがな)を使い分けている。


 いとしいとしといふこころ

 この詩が、1文字の漢字になるだなんて。趣深い、粋な言語だなぁと感心してしまう。

 いとしいとしのわがことば

| 06:14 | world | comments(0) | trackbacks(0) |
『love』 by John Lennon

"Love is real, real is love,
 Love is feeling, feeling love,
 Love is wanting to be loved.

 Love is touch, touch is love,
 Love is reaching, reaching love,
 Love is asking to be loved.

 Love is you, you and me,
 Love is knowing we can be.

 Love is free, free is love,
 Love is living, living love,
 Love is needing to be loved"


 英語の何が好きって、この極限のシンプルさを追求できるところなんだと思う。
 英語という言語の素晴らしいところは、飾りを排除し、あらゆる無駄をそぎ落としても尚、文章として成立するところなんだと思う。
 John Lennonは松尾芭蕉の俳句にインスピレーションを受けて、この歌を作ったらしいけれど、日本語という言葉に裏の意味をもたせてしまう言語とは違い、英語はもっとシンプルになれる。
 言葉の本質だけを使う言語。その本質だけで表現しようとする気概。それが、英語のシンプルたる所以なのかもしれない。

| 00:05 | book and music | comments(0) | trackbacks(0) |
赤線

 Youtubeで「Quincy Jones」を検索していたら、出会った「愛のコリーダ」。気づけば映画『愛のコリーダ』の予告編に続いていた。
 『愛のコリーダ(1976)』は阿部定事件をモデルにした映画。阿部定さんを扱った映画としては、他に黒木瞳さん主演の『SADA(1998)』、最近だと杉本彩さん主演の『JOHNEN 定の愛(2008)』があるけれど、この映画の迫力と日本のもつ独特な濃さが滲んでいて素敵。

 けれど、それ以上に興味をそそったのが、赤線。1958年4月1日から売春防止法が施行されたため、それまで、公認で売春が行なわれた地域を囲うものだとか。逆に青線は非公認の地域を囲っていた。そもそも戦前から、遊郭のある地域は警察によって赤線地区とされていた。それが1946年に入り、GHQによって公娼制度が廃止されたのが皮切りに、貸座敷や遊郭はどんどんと風俗店やカフェ、料亭という名に変更。それらも売春防止法により、全てが廃業した。そのため赤線は今では旧赤線とも呼ばれている。
 その一方で青線は未だに存在しており、歓楽街を指す言葉でもある。

 江戸時代の吉原は有名、安野モヨコさんによる『さくらん』や時代劇だし、第二次世界大戦後も娼婦が存在していたことは知っていた。実際GHQ、在日米軍を相手にするパンパン(・ガール)は『百年の物語』で永作博美さんが演じていた(はず)。それにしても、調べてみたら1945年8月、つまり敗戦直後には日本によるGHQのための特殊慰安施設協会が設立され、フランクリン・ルーズベルトさんの奥様エノレアさんによる反対がある1946年1月まで運営されたんだっていうから驚き。これについては『戦後50年特別企画 女たちの戦争 忘れられた戦後史 進駐軍慰安命令(1995)』に詳しい。
 江戸時代、日本人は性にオープンだった、と肯定的な意見は聞いたことがあるけれど、これは明らかに違う意味だ。どうして下手に弱者としてしか人と向き合うことが出来なかったのか。残念でならない。


 今でも旧赤線内には当時の建物が残っているらしい。例えば、東京の神楽坂、京都の五条。島原の大門。大正時代の和洋折衷の建物として、阿部定さんが一時働いていたというのが丹波篠山の遊郭「京口新地(大正楼)」も未だ健在。
 歴史自体には良いも悪いもない。建物自体にも良いも悪いもない。ただ、当時にしか作れないものが、時を経た今も残っていることが個人的には嬉しい。

| 22:02 | world | comments(0) | trackbacks(0) |
帰る場所

 小さな頃は感じなかった違和感。だけど、10歳になった時、私はそれを感じてしまった。
「何処に行けばいいんだろう」
 それは、今、ここに在ることに対する違和感だった。私の居場所が、ここではない何処かにあるのだという感覚。それを、ずっと抱き続けてきた気がする。家族といるときも、友達といるときも、恋人といるときも。私はいつも一枚のベールを隔てて、誰かと一緒にいた。そのベールの向こう側で物事が進んでいくのだけれど、私はその中に入り込めない、だから取り残されてしまう。何でも、すごく他人事に見えてしまう。

 ここにいるから、いけないんだろうか。何処かに行けばいいんだろうか。ここから出て行けば、何か変わるのだろうか。そう思ったまま、何も変えないまま、勝手に諦めて、まぁこれも良いんじゃないかって達観した気になって、過ごした。

 だけど大学に入って、ある友達が教えてくれた。人に甘えるのも、怖いことじゃないって。その子は、私に仮の宿を与えてくれて、いっぱい甘やかしてくれた。そして甘え上手だった。誰かに頼るとか、甘えることを恐れてたんだ、ってその時気づいた。ベールは自分で作ってたんだ、って。心を開いて、自分が思っていることを語ったら、自分を分かってもらおうと働きかけたら、そのベールは消えていた。
 けど、やっぱり居場所はなかった。彼女には恋人がいたから。別に私が蔑ろにされた、ってわけじゃない。ただ、その恋人は、私の入れないポジションを彼女の中に築いてた、ってだけ。

 そんな時、『冷静と情熱のあいだ』という本を読んだ。
「人の居場所なんてね、誰かの胸の中にしかないのよ」
 意味は分かった。けれど、実感出来なかった。私は、恋人の中に、自分の帰る場所を作れなかった。私の恋人は、私に帰る場所を与えてはくれなかった。甘えたつもりで、甘えられなかった。

 だけど、出会ってしまった。離れられないと思った。彼と分けられたら、一生の終わりだとさえ思わせられる恋人だった。甘えるだけでは飽き足らず、依存してしまった。そして私もまた、甘えられ、依存されていた。狂うくらいに彼だけを求めていた。
 だけど、その恋も、終わった。
 今や私は、家族にも友達にも甘えることが出来る。彼らが引き出すままに、私は自分を曝す。恋人はいない。帰る場所もない。だけども、帰る場所を知った。

 留学をして、私は何よりも重要なことを学んだ。人生なんて、自分の生きる場所に出来上がるもの。今、ここに在ることで、私のやるべきことも、やりたいことも自然に生まれる。人は生きてる限り、それに向き合わなきゃいけない。日本でだって、ドイツでだって、それは一緒。だけど、帰る場所は、必ずしも自分が在るところに出来上がるわけじゃない。それは、私が私をさらけ出せる人びとのいるところに出来上がる。
 家族が私の家を保ってくれて、友達が私の学ぶ場を、働く場を、遊ぶ場を保ってくれる。そんな小さな、けれど掛け替えのない仮の宿が、今は帰る場所として私を支えてくれている。まさに青い鳥。欲しがっていた帰る場所なんて、居場所なんて、案外身近にあるものなんだ。それは、そこから出なきゃ、気づかない人もいるって話。

 けどさ、両親はいつか世界を去って、兄弟姉妹は新たな家族を作り、友達は家庭を作るでしょ。そしたら、私の帰る場所は、きっとどんどん思うようにはならなくなるよね。彼らは自分の帰る場所を充実させようと、当たり前のことをするだろうから。
 それが、今はちょっと怖いんだ。

| 22:35 | private | comments(0) | trackbacks(0) |
物語り

 2007年。宮城県の、ある学校の先生が、修学旅行の引率で沖縄へ行き、ある語り部に出会いました。
 彼女は、第二次世界大戦中、兵士を預かる家で暮らしていました。兵士たちは、銃の学校へ通うため、彼女の家に下宿していたのです。その中の一人、宮城県出身の青年は、その家で当時まだ幼かった彼女と交流を持ちました。というのも、青年には故郷に、彼女と同じくらいの年の妹たちがいたからでした。
 「懐かしかったのでしょう。彼はとても優しくしてくれました」
と、後に彼女が語るように、23日という短い間に、彼らは交流を深めました。
 そのため、宮城県から修学旅行生が来たとき、彼女は「もし青年にもう一度会えるのならば、よくしてもらったお礼がしたい」と、その引率の先生に青年を探してくれるよう願い出たのです。

 2009年の春、定年により学校を退職した先生は、東京に出向き、一年に一度だけ一般公開される靖国神社の名簿から青年の名を見つけ、その青年が亡くなっていること、その住まいが自分が今まで働いていた学校の近くにあることを知りました。先生は、それを彼女に知らせ、自ら青年の父親の家へと電話をかけました。
 一方、彼女は、語り部の仕事で、東京のとある大学へ行く機会をもち、そこで出会った宮城県出身の学生に、青年の家族に宛てて書いた手紙を託します。手紙を預かった学生、その父、そして先生は、すべてを青年の家族のもとに届けました。

 そして2010年の秋。先生は、彼女を宮城県に招き、講演会を開催しました。講演後、彼女はその足で、青年の家族のもとへ。彼女は初めて、青年の妹、私の祖母と対面したのです。



 人と人のつながりって凄く強いんだなと思います。祖母のお兄さんを思った彼女も、その彼女の意を汲んで奔走した先生も、偶然出会ったのにしっかり手紙を届けた学生も、そのお父さんも、そしてそれを受け入れた祖母も。
 1945年の沖縄戦で亡くなった、祖母のお兄さん。私は家にある遺影でしかその姿を見たことはないけれど、帰省時やお盆のお参りだけでなく、彼の話を何度か耳にするせいか、過去のご先祖様とは一緒くたに出来ないだけの近しさは感じるのです。

 人は語られることで、この世界から去った後も、人の心の中に、そして世界に残ることが出来る。そう実感させられます。ご先祖様を、先人を大事にするっていうのは、単に伝統とか過去を守るためじゃなくて、それに付随する物語を繋いで今に続けるためなんじゃないかなって、お墓参りをしなかった今年、考えました。一人の物語を、時代の物語を、聞いて、語って、未来に繋げる。人は今いる人だけじゃなくて、過去の人とも、未来の人とも繋がることが出来る。
 それって、すごく素敵なこと。
 今見れるもの、今聞けるもの、今あるものだけが大事なんじゃない。過去あったもの、未来あるであろうものも、同じくらい大事。そしたら、人は物語から学んだ色んな視点を、今に生かすことが出来る。
 だから何よりも、その物語に耳を澄まし、自らも語り、そして物語が生きることの出来る世界を大事にしたい。そんなことを、教えてもらいました。

| 21:14 | world | comments(0) | trackbacks(0) |
下着

 留学すると、現地で買わなければならないものが幾つか出てくる。その筆頭が消耗品。食品はもちろん、例えばシャンプーとかリンスなんて既に数回買ったし、スキンケアも全てドイツ製に換わった。洋服だって全部じゃないけど買い足していく。なぜか分からないけれど、(わが寮の洗濯機が悪いのか)、衣料品の傷みが半端じゃない。だからと言って買ったものも長持ちするかと言えばそれは別で、縫製とか生地の面でも格段に日本のものの方が良いのだけれど。中国製であることは一緒なのにおかしいと思う。

 で、下着。もともと持ってきた数が少なかったのだけれど、半年経って購買意欲が湧いてくる。そこで夏の終わり、7月下旬に友人と開店したばかりのTriumph(1886年ドイツで設立された会社)に行ったことがあった。
 が、問題発生。アンダーが75〜しかない。更に試着して発見。カップはA~あるのに、なぜか日本サイズのAとBがドイツのAに合算されている。つまり日本のサイズはドイツよりも細かく設定されているらしい。ドイツのAじゃ小さいし、Bだとフィットしない。これって将来形崩れちゃうんじゃないの?と考えて、思い出した。私の先生、ブラしてなかった…そうなんです。結構いらっしゃるんです、ノーブラ族。相対するこちらの方がドキッとしてしまいますが、本人は至って平然とされているので目のやり場に困ったりします。特に夏場ね。
 まぁそんなこんなでブラは諦めたわけです。けど、どうしても挑戦したいものが出来ました。TriumphとかH&Mとか、下着が売ってる場所なら絶対に目に付くもの。そしてどうやら女性の大半が使っているであろうもの。それが、ティーバック。
 どうやらドイツでは皆さんティーバックをはいているようです。お子様からおばあちゃんまで。綿からレースまで色とりどり。以前、友達の白いワンピースに透けて見えたティーバック。あらセクシーね、なんて思っていたけれど、彼女だけが特別だったわけではなかったらしい。
 他の留学生仲間からは拒否されたけど、一人でもやるもん、と挑戦。予め紐が細いのは痛いから止めておくよう忠告を受け、いざ履き心地の良さそうなティーバックをゲット!

 …はけりゃ何でも一緒かも。

| 20:18 | private | comments(0) | trackbacks(0) |
中島美嘉『一番綺麗な私を』
JUGEMテーマ:音楽

 「もしも」と考えることがない、と言えば嘘になる。後悔しているわけではないし、前より今の方が良くなってきているっていう自信もある。どんな選択も、その時最善と思ったからこそ手を伸ばしたのだから。けど、時々ね、想像しちゃうわけです。「もしも」って。今の自分を否定しない程度にね。

 「もしもあの冬にあなたを信じていたら
  今も二人で寄り添いながら
  生きていたでしょうか?」

 魔が差す、という時がある。それが授業放棄とかバイトをエスケープなんてものだったら冒険になるのだけど、人との関係(例えば友達と喧嘩とか、恋人との別れとか)に繋がっちゃうと、1人の問題じゃなくなって、進む道が違ってきたりする。
 お互い初めてこんなに長く同じ恋人と付き合っていて、ちょうどお互い魔が差して、すんなりと別れた。もちろん寂しさもあってあっさりではなかったけれど、何処かでほっとしたのを覚えてる。その後、他の恋人との時間も持ったけど、やっぱりなんだか彼は違ったんだな。
 だから考えてしまう、「もしも」。

 「一番綺麗な私を抱いたのはあなたでしょう
  消えない涙の記憶を
  運命と人は呼ぶのでしょう」

 好きなら運命なんてこっちから赤い糸を持って結んじゃえ、と思うけれど、それは今後の未来のお話で、過去は確固たるものとしてあるからこそ対処出来ない。出来るのは思い返すことだけ。そして思い返せば思い返すだけ彼を恋しがったら、それは運命と呼べる相手として自分を納得させるしかない。だって、結局好きなんでしょ。
 一番綺麗な私を抱いたのは貴方。だって一番綺麗な私にしてくれたのが貴方だから。
 願わくば、今、貴方も想ってくれていたらいいなと思う。あいつは綺麗だったな、って。

 「ああ あなたも私を 想うのでしょうか?
  二度と戻ることのない
  駆け抜けた季節(とき)を」

| 19:26 | book and music | comments(0) | trackbacks(0) |
椎名林檎『17』

  now i'm seventeen
  my school is in the country
  students wear trainers
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 17歳の女の子。High School Student。何処か分からないけれど、学校も田舎も知り合いばっかりの小さな社会に暮らしてる女の子。だから時々、地下鉄に乗って誰とも知らない人ばかりの社会に出る。
 学校だとみーんな同じことしてるから、人と違うことがしたくて。

  i see the same faces in school & they say that i am different
  i think it's an honour
  i say it's an honour to B diffrent
  i can't go their way

 そうすることで、なんだか特別なもののように自分を感じることが出来る。別にスーパースターになりたいとか、お姫様になりたいなんて願望があるわけじゃない。けど、誰か見つけてほしいと思ってる。私を、私だけを見つけてって。
 でも、しょせんは17歳。また地下鉄に乗って、家に帰って、夕食を食べるしかない。何処にも行けない。でも何処かに行きたい。誰かに見つけて欲しいの。


 高校時代って特別だと思う。中学までは、同じように地区毎に分けられた子どもが集まるだけだけど、高校ってちょっと選別がある。勉強とか、地域とか、部活とか。多少意識して、選んだ場所だから。大学ほどじゃないけど、なんとなく似通った部分をもつ子に出会ったりもする。でも、誰だって思ってると思う。私は特別よ、って。
 17歳。私は思春期真っ盛りだった。友達とはきゃあきゃあ騒いで、ばかなことやって、1人になるとちょっと気だるげで退廃的な気分。あの特有の感覚はなんて言うんだろう。1人で動くってことに大人っぽさを見出して、自分はちょっと周りとは違うんだって思いたくて。そんな可能性を持ってるから、って夢見て、「ふつー」の人とは違うのよって顔してた。そのくせ、もうお化粧もバッチリ、髪も月に一度は染めに行く同級生を見たりすると、そんな姿に憧れたりもしてた。

  now i'm seventeen
  i do not have a title
  depend on no one else
  busy being kind

 いつから、あの感覚と距離が出来始めたんだろう。



椎名林檎,ボブ・クルー,亀田誠治,金原千恵子ストリングス,浅井健一,西川進,斎藤有太,皆川真人,村石雅之,村石雅行,河村母介
(2000-01-26)

| 23:33 | book and music | comments(0) | trackbacks(0) |
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