amor mundi

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帰る場所

 小さな頃は感じなかった違和感。だけど、10歳になった時、私はそれを感じてしまった。
「何処に行けばいいんだろう」
 それは、今、ここに在ることに対する違和感だった。私の居場所が、ここではない何処かにあるのだという感覚。それを、ずっと抱き続けてきた気がする。家族といるときも、友達といるときも、恋人といるときも。私はいつも一枚のベールを隔てて、誰かと一緒にいた。そのベールの向こう側で物事が進んでいくのだけれど、私はその中に入り込めない、だから取り残されてしまう。何でも、すごく他人事に見えてしまう。

 ここにいるから、いけないんだろうか。何処かに行けばいいんだろうか。ここから出て行けば、何か変わるのだろうか。そう思ったまま、何も変えないまま、勝手に諦めて、まぁこれも良いんじゃないかって達観した気になって、過ごした。

 だけど大学に入って、ある友達が教えてくれた。人に甘えるのも、怖いことじゃないって。その子は、私に仮の宿を与えてくれて、いっぱい甘やかしてくれた。そして甘え上手だった。誰かに頼るとか、甘えることを恐れてたんだ、ってその時気づいた。ベールは自分で作ってたんだ、って。心を開いて、自分が思っていることを語ったら、自分を分かってもらおうと働きかけたら、そのベールは消えていた。
 けど、やっぱり居場所はなかった。彼女には恋人がいたから。別に私が蔑ろにされた、ってわけじゃない。ただ、その恋人は、私の入れないポジションを彼女の中に築いてた、ってだけ。

 そんな時、『冷静と情熱のあいだ』という本を読んだ。
「人の居場所なんてね、誰かの胸の中にしかないのよ」
 意味は分かった。けれど、実感出来なかった。私は、恋人の中に、自分の帰る場所を作れなかった。私の恋人は、私に帰る場所を与えてはくれなかった。甘えたつもりで、甘えられなかった。

 だけど、出会ってしまった。離れられないと思った。彼と分けられたら、一生の終わりだとさえ思わせられる恋人だった。甘えるだけでは飽き足らず、依存してしまった。そして私もまた、甘えられ、依存されていた。狂うくらいに彼だけを求めていた。
 だけど、その恋も、終わった。
 今や私は、家族にも友達にも甘えることが出来る。彼らが引き出すままに、私は自分を曝す。恋人はいない。帰る場所もない。だけども、帰る場所を知った。

 留学をして、私は何よりも重要なことを学んだ。人生なんて、自分の生きる場所に出来上がるもの。今、ここに在ることで、私のやるべきことも、やりたいことも自然に生まれる。人は生きてる限り、それに向き合わなきゃいけない。日本でだって、ドイツでだって、それは一緒。だけど、帰る場所は、必ずしも自分が在るところに出来上がるわけじゃない。それは、私が私をさらけ出せる人びとのいるところに出来上がる。
 家族が私の家を保ってくれて、友達が私の学ぶ場を、働く場を、遊ぶ場を保ってくれる。そんな小さな、けれど掛け替えのない仮の宿が、今は帰る場所として私を支えてくれている。まさに青い鳥。欲しがっていた帰る場所なんて、居場所なんて、案外身近にあるものなんだ。それは、そこから出なきゃ、気づかない人もいるって話。

 けどさ、両親はいつか世界を去って、兄弟姉妹は新たな家族を作り、友達は家庭を作るでしょ。そしたら、私の帰る場所は、きっとどんどん思うようにはならなくなるよね。彼らは自分の帰る場所を充実させようと、当たり前のことをするだろうから。
 それが、今はちょっと怖いんだ。

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