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ホームシック

 最近、留学半年にして再びホームシックにかかっている。今更?と思いつつ、一ヶ月目も三ヶ月目も来たから、私の中で何か周期があるんだと思うことにした。だけど、だけど。一昨日、祖父母の夢を見たと思ったら、昨日は家族の夢を見た。おいおい…

 そういえば去年一ヶ月のサマースクールに行っていたときも、到着後すぐにホームシックにかかった。到着日は現地の学生が空港まで迎えに来てくれていて話せたんだけど、たまたま翌日から週末で、土日とも1人っきり。他の子はシェアルームの同居人が日本人だったりするのに、私は同居人不在。今考えれば不安だったんだろうな、と思えるけど、あの時の寂しさと言ったら!!
 家族には心配かけられないし、当時の彼には自分が望んで離れてるんだからと甘えられず。結局救ってくれたのは、「ホームシックは1週間までだから、大丈夫だよ」という友達からのメール。あれも運良く友人のパソコンを借りられた一時に見られたもので、目にしていなかったらもっと大変だったろうなぁ。
 けど、その後授業が始まり友達も出来て、たくさん外出するようになる頃には自然と納まった。


 なのに、どうして今頃?悩んだときは原因をはっきりさせるのが良い。病気だって病名がつくだけで安心したりするものだから。

 『広辞苑』に依れば、ホームシック(英:Homesickness、独:Heimweh)とは「家庭や故郷を離れている者が陥る、ひたすらそこに戻りたがる精神状態。懐郷病」を指すらしい。うーん、私は何処に「戻りたが」っているんだろう。友達は故郷の味が懐かしい、家族に会いたい、パートナーが恋しいと言う。
 確かに日本食は美味しい。けどアジアンショップはあるし、そこまで不自由はしていない。
 じゃあ家族に会いたいんだろうか。うん、会いたい。友達も?もちろん!!留学している友人の多くがSkypeをしているのだけれど、私はしていない。後悔しているわけじゃないし、手紙を交換し合っている喜びがあるからいいのだけれど…物足りなさが募る。手紙だけじゃ足りない。というのも、心を完全に開ききって思っていることを率直に伝えられる友人が今ここには少ないからかもしれない。ドイツ語は母国語なみにはまだ話せないし、何より日本人コミュニティのややこしさがねぇ。
 あぁ、これなのか。日本人コミュニティというものが意外とどこにでも存在する。パリに留学していた先輩もそう言ってた。初めはうまく距離をとってたんだけど、最近それがちょっと壊れて近づきすぎていた感がある。小さい社会だから関係もごちゃごちゃ、苦手とするしがらみとやらも存在する。そりゃあ疲れるでしょう。こっちでの人間関係が上手くいかない時にばかり、ホームシックにかかる。
 けれど、それは単なる逃避。立ち向かって、解決しなければならない問題なのだと思う。何処だって、いつだって自分の好きな人たちだけに囲まれて生きていくことなんて出来ないし、そんな小さな社会は真っ平御免だ。ホームシックの根本的な解決。それはまだまだ自分の中に燻る非社交性の改善でしかない。

| 08:00 | private | comments(0) | trackbacks(0) |
to Türkiye Cumhuriyeti

 イスタンブールとカッパドキアへ

 人口:74,816,000
 面積:
780,580km²
 通貨:トルコリラ(TRY) ※1ユーロ=1.77トルコリラ


 8月12〜15日に大学時代の友人と連れ立って、トルコ旅行を決行。なんと往復とも飛行機は深夜便というハードスケジュール。(最近格安会社だとトルコで有名なPegasus Airlinesを利用。サビハ・ギョッケンというイスタンブールのアジア側にある空港を経由し、カイセリ空港へ。片道150ユーロ)加えて彼女は1日に3便の飛行機を利用し、日本からドイツに入国してすぐトルコへ出国するという慌しさ。詰め過ぎちゃって、ごめんね。

 メルハバー、着いたよカッパドキア!約3000万年前に3つの火山が同時噴火し、その時の溶岩と火山灰によって奇形した土地に、3世紀半ば古代ローマの弾圧から逃れてきたキリスト教徒達が隠れ住んだのが洞窟住居の始まりらしい。写真中央に見えるたけのこのような岩や、写真にはないけれどえのきのような岩がにょきにょきと大地から突き出ている様子は見るだけでも圧巻もの。岩は現地でチムニーと呼ばれている。あら、可愛らしいネーミングだこと。傾斜の急な谷やチムニーの住居、教会、ホテル(洞窟ホテルに宿泊。とっても豪華で、なんとジャグジー風呂付き!!55ユーロ)、その間に少しだけ覘くことの出来る木々。何処を見ても、にょきにょき。乾燥地帯なので日中はかなり日差しが痛いけれど、チムニーの中は10〜15度に常に保たれ過ごし易くなっている。先人の知恵ですなぁ。
 チムニーの風化や戦火に脅かされるようになる1950年代まで、多くの人々がこのチムニーを掘り、暮らしていたと聞く。もちろん今でも、少ないながらも住人はいるとのこと。
 で、ここの広さといったら!!ぐるり360度、本当に雄大な景色が視界を埋め尽くす。それを翌朝、気球に乗って上空から見ることが出来た。(150ユーロ)その日は、30近い気球が上がっていた。朝4時半集合だと言うのに、(私が時差を考えず目覚ましをセットしたので、危うく遅刻してしまうところろだった…、)多くの観光客の皆さんと朝日まで望むことが出来る。世界は本当に広く、多様だ。
 その後一旦朝食を摂りにホテルに戻った後、今度はレッドバリーという谷まで徒歩で延々歩き、どろどろに疲れてしまったので、13日はバスツアーに参加(80トルコリラ)。ガイドさんの案内のもと、ポトリー(壷)工房に絨毯作り、ウチヒサル城、Open Air Museumへ。博物館では多くのフレスコ画が残された教会を見ることが出来た。ここで今まで抱いていた謎がやっと解明。
 というのも、レッドバリーを歩いているとき見たチムニーは、どれも2階、3階があるのにも拘らず、階を上がる道具が見当たらなかった。「どうやって住民は2階に上がっていたのか?」と私たちはうーんうーん言っていたわけ。以前は紐が垂らされていたか、梯子が掛けられていたかと予想だったけど…

 なんと裏技、ロッククライミング!!よく壁面を見てみると、確かに手足を掛けられそうな穴が!!(中には風化して穴が無くなってしまっているものもありんだけどね)そこで大阪出身のバス同乗者の方が一言。「昔の人はみんな細マッチョやったんやなー」体力を要するし、太すぎると上れない。うーん、日常が冒険かぁ。傾斜の少ない壁面を素手で登るんだものね。
 その後お昼ごはんへ。折角のトルコ料理だったのに、名前が分からず…なすにお米が詰められたていて美味しかったなぁ。ガイドのお姉さんはラマダン中のため、ドリンクのみ。またレストランの窓からは、金曜日のため一斉にモスクへ集まる人々の姿やアザーン(イスラムの礼拝の刻限を知らせる呼びかけ)を見聞きすることが出来た。


 さぁ、イスタンブールへ。夜行バスは予約せずとも、すぐにインフォメーションで見つけることが出来る。ちなみに私たちが乗ったバスはHavas(13TRY)。起きて着いたら目の前には中央駅!!タクシーもずらりと待ち構えてるけど、無料の市内バスが出ているからブルーモスクやバザールに行きたいならこちらがオススメ。

 イスタンブールの旧市街は見所がいっぱい。なんと言ってもモスクは数えただけでも9つあるし、アヤソフィア(ビザンティン建築の最高峰と名高い、東方正教会の総本山)やトプカプ宮殿&ハーレム(15〜19世紀に使用されていたスルタンの住居。オーディオガイド日本語版もあり20トルコリラ。それぞれ建物内には15トルコリラの入場料が必要)、グランバザール等など。
 1日で全て回りきれるかと心配もしたけれど、スタートが8時だったため夕方には空港までのバスが出る新市街へと向かうことが出来た。そんなに慌てたわけでもないんだけどね。サビハ・ギョッケン空港はイスタンブールで有名なアタトュルク空港とは違いマイナーな方なので、ちょっとご用心。帰りはCondor/Sun Expressで。片道163ユーロ。
 何処のレストランに行っても思うこと、それはウェイターが男性ばっかりということ。やっぱり女性はまだ働く場が少ないのかなぁ。

 そして夜。サビハ・ギョッケン飛行場へ向かうバスを探している途中、ものものしい雰囲気の警察官、及びパトカー、バスの数々を見かけた。友人とは笑いながら「私達守られてるねー」などと話していたけれど…今日ニュースを見たところ、アルカーイダ組織に属すると思われる人からトルコに対し、ネットで音声表明されていたらしい。まさに昨日。今2人で慄いています。無知って怖いわ。
 実際、安全な社会や人懐こい人々、魅力的な文化を見てきたからこそ、ヨーロッパとアジアのあいだのトルコが、未だに左右の危ういバランスの上に立っているであろう情況が長い歴史の上に続いているものなのだと実感させられた。EUに加盟するにも、イスラム教国家を支援するにも、あいだを取るということは自立していなければいけないわけで、だからといって敵味方関係をくっきり区別して付き合うことが中立ともいえず、けれど孤立しては生きていけないので、絶対的な正解のない模索の道が長い間続き、今後も考え続けなければならないのだろうな。それはトルコだけの問題ではないのだけれど。

 そんな事を胸に、ヨーロッパ側の陸地にあるガラタ橋からアジア側のの陸地を見つめていたとき、思い浮かんだのは谷川さんの詩『朝のリレー』。太陽が鮮やかに輝く、夕方だった。


 「カムチャッカの若者が
  きりんの夢を見ているとき
  メキシコの娘は
  朝もやの中でバスを待っている
  ニューヨークの少女が
  ほほえみながら寝がえりをうつとき
  ローマの少年は
  柱頭を染める朝陽にウインクする
  この地球では
  いつもどこかで朝がはじまっている

  ぼくらは朝をリレーするのだ
  経度から経度へと
  そうしていわば交替で地球を守る
  眠る前のひととき耳をすますと
  どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
  それはあなたの送った朝を
  誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ」
  (谷川俊太郎『これが私の優しさです』集英社文庫より)

| 12:22 | trip | comments(0) | trackbacks(0) |
to St.Malo

 in République française

 人口:50,675人(1999年)
 面積:36.58km²
 6世紀、修道士の居住地として整地される。一時、海賊の支配を受けたものの、1967年フランスの一市として認定される。
(写真はシャトーブリアンが眠る小島。サンマロと繋がっている→)
 
 今回の旅の最終国、フランス!!やって来ましたサンマロ。のだめでも有名なこの街、モンサンミシェルの経由地で、ここから電車とバスを乗り継ぎ〜、とまずはホテルへ。今回の旅、ユース(共同部屋)ばかりだったけれど、最後はホテル♪イエイ。 部屋に荷物を置いて、いざ駅へとバス停で待っていると…モンサンミシェル行きの電車がもうない!!時刻表で確認。…やっぱり、ない。そして、バスも来ない!!
 サンマロ観光だと思いなおし、ともかくご飯を食べようとスーパーへ。けれど今日は日曜日。お花屋さんしか空いていないのがヨーロッパの落とし穴。が、明かりのついたカフェが隣にあるじゃない。店内に入ると、お客さんはゼロ。(11時、お昼にはちょっと早い??)店員さんに声をかけると、
「何?」
 …ご飯が食べたいだけなの。その後ごにょごにょと「あっちに行ってみて」と言われたみたいだけど、従業員の皆さん我関せず。ご飯は目の前にあるのに、結局食べられず、とぼとぼバスを待つことに。友人はバイタリティいっぱいに「ヒッチハイクをしましょ!」と言っていたけれど、運転手の皆さんは珍しいアジア人の女の子を見ていくだけで止まってくれるわけもなく。(そう、ここサンマロはヨーロッパ系の観光客が多く、アジア系の人はあまり見かけなかったなぁ)

 まぁ、けれどサンマロは楽しい街だった。小さな通りがいっぱいで、城壁の上に登り、街をぐるりと回ることが出来る。高いところ大好き!城壁の上から見えた、シャトーブリアンのお墓がある小島へ。写真右手に見える道は、潮の満ち干きによって浮上したり沈没したりするのもロマンティック。おやつにクレープを、夕ご飯にはムール貝のカレースープを味わう。(ランチ時、色々なカフェから漂った匂いからムール貝の存在を発見)海の幸、久しぶりに食べることが出来、ひじょーに幸せ。

 翌日、ドイツへ帰るバスに乗るため、パリへ。1時間余裕があったので、ノートルダムに立ち寄った。お昼はセーヌ川近くのカフェでバゲットを。


 旅行をすると、マザーグースの歌を思い出す。

 Oh that I were where I would be,
 Then would I be where I am not;
 But where I am there I must be,
 And where I would be I can not.

 (いきたいところにいけるなら
  いまいるところには いないでしょう
  いまいるところをでられなきゃ
  いきたいところは いけないの。    江國香織訳)

 ドイツに留学しているから、日本にいる私は望めないし、ロンドンにいるからエアランゲンにはいられない。何処かを選ぶということは、他の地にいる自分を捨てるということで、ここを出るということは他での可能性を得るということ。ドイツに来て半年、ちょっとずつ慣れて忘れていたことをこの旅は思い出させてくれた。

| 23:58 | trip | comments(0) | trackbacks(0) |
to United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland

 グレートブリテン及び北アイルランド連合王国

 人口:61,565,000人(2008年)
 面積:244,820km²
 通貨:UKポンド (£)(GBP)
 1066年ウィリアム征服王によって王国化。その後ずーっと続く国家。
(←写真はロンドン地下鉄の工事案内ポスター。コマーシャル版もあったけど、面白かったのでパシャリ)


 着きましたLiverpool、と来ればthe Beatles。(LondonではAbbey Roadを横断してきました!!)彼らが生まれ育ったこの街は横浜に似ていて、海辺あり観覧車あり、おまけにレンガ街やショッピングモールまで。そしてここには、一風変わったバスが走っている。初めは市内の観光ツアーをしてくれるのだけれど、その後海にザボンッと突入!!
 「3・2・1」
とカウントダウンが聞こえ、声の方へ目をやると、水面に飛び込むバスがあり、友人と2人ビックリどっきり。(ドイツの一部の都市では、ビールを飲みながら移動する6人乗りの自転車が有名。これも一度は乗らなくちゃね) 宿はLiverpool YHA。駅からはちょっと歩くけれど、海辺が近く、市内観光にはバッチリの立地。

 半日の家にビートルズの博物館に奴隷博物館、大聖堂を見て、いざロンドンへ!!絶対怖い、と覚悟していた地下鉄ですが、そこまで危なくも汚くもありませんでした。とは言っても油断は禁物ですが。もう日も暮れ始めていたので、ひとまず宿へ。このユースホステルはノッティングヒル駅近辺。ピーターパンやハリーポッターなど色々な映画や本の舞台として描かれることが多いせいか、知っている地名や建物が時々目に付いてわくわくドキドキ。初めての地なのに、疎外感を感じることがないというか、なんというか。

 翌日はまずBritish Museum。朝だったためそれほど人は多くなかったけれど、4時間後には入り口の階段に座り込む人、前の庭で休む人で公園状態に。入場料がタダっていうのには驚いたなぁ。中は、まぁ広いのかな。けど陳列がごちゃごちゃしていて、一応時代ごとに分けたゾーンを国ごとに追っていくのだけれど、なんというか統一感の無さが目に付く。もちろん、それぞれ所蔵品の価値はものすごく高いのだろうけど、石柱だけ壁だけ壷だけがぽんぽんと置いてあるといった違和感は拭えない。ひな壇に雌雛、テディベア、ロボットを並べたような。(ちょっと無茶?)
 年々、エジプトやギリシアからの返還要求は強まっているらしい。大変なことだと、他人事に思えてしまった。自分はやってない、日本はやってない。そう思うことで何を正当化しようとしているんだろう。竹島も北方領土も、自分が暮らしていた国の歴史さえ分かっていない。知らないまま、ただ他人事として見ないふりをする。そんなふうに考えてしまう自分が悲しかった。

 さて、お次はシャーロックホームズの家がある、ベーカーストリート。ここ221bにはホームズが住んでいるという設定らしく、(実はホームズは一度も読んだことがない。けどコナン君のおかげで多少の知識がついた)、以前は下宿屋だった建物を改装して公開されているのが、現在のホームズ博物館。近世スタイルの家具や、ホームズが考え込む時に使っていた椅子、事件を再現した人形たちなど本を読みたくなるようなセットが並べられている。

 続きましてはバッキンガム宮殿。(→)通りには溢れんばかりの人、と形容できるほどの観光客がいたけれど、実際本当に多くの人が溢れ零れんばかりの状態。その様子は、友人と今日は何か特別な日!?と話したほど。けど良く考えると、一日に一回の衛兵の交代式(毎日11時)ともなると、こんなにも人が集まるんだろうねぇ。衛兵さん達は暑い日だったけれど、長袖でもこもこの帽子もしっかり着用。伝え聞いてた姿そのもの!!
 
 その後、前日出来なかったお茶会をするためtea.へ。本当はサザビーカフェという、お手頃(カフェによっては一人40ユーロのティーコースがあったりなかったり…)なアフタヌーンティが楽しめるというカフェにネットで探してまで行ったのに…閉店。今日こそ挽回するぞ、とクリームチーズとイチゴジャムのついたスコーンを注文し、なんとかブリティッシュスタイルを経験。随分としっとりしていて、とっても美味しかったなぁ。

 元気になった私達は、ウェストミンスター寺院へ。ここは元ダイアナ王妃の葬儀が行なわれたりと、王室と縁の深い教会として有名らしい。中は大英博物館よろしく装飾や廟でごたごた。けれど聖母礼拝堂は本当に綺麗で、今まで見たどの教会よりも美しかった。私はなぜか素晴らしい教会に行くと、(あくまで主観的なものなのだけれど)Charlotte ChurchのPanis Angelicusが頭の中で自動再生と言う状態に陥る。で、この礼拝堂はまだイギリス国教会が成立する前、ヘンリー7世によって墓地として建てられたらしく、象牙色にまとめられ、整然とし落ち着いた空間で本当に静謐という言葉が似合う場になっている。

 さぁ、そして夜は折角なのでとミュージカルCHICAGOを鑑賞。イギリス国内の都市からLondonへ長距離列車を使った人を対象に、1人分の料金で2人が観覧出来るという、「2 for 1」割引があったからね。ラッキー。CHICAGOは一度日本で観たことがあったけれど、今回は全く演出が違い、舞台装置はオケを乗せたステージ一つ。場面展開に追いつけず、英語も分からず…けれど音楽はやっぱりいい。

 最終日。フランスへ発つ前、ハリー・ポッターのロケ地ツアーに参加。というのも旅のパートナーが大ファンだったため。あの有名な、9と3/4番線にも行ってしまったよ。キングスクロス駅にあるのだけれど、今は改修中のためホームの端に半分壁に埋まったカートが設置されている。(そういえば、アメリカにはハリーポッターのセットスタジオがあるらしい)

| 23:48 | trip | comments(0) | trackbacks(0) |
to Éire

 Ireland(アイルランド共和国)

 人口:4,515,000人
 面積:70,282km²

 紀元前3世紀には既にケルト人が移住していた。5世紀にはキリスト教がすでに広まり始める。1801年グレートブリテン王国と合併するものの、1949年イギリス連邦から脱退。1973年EC(現在EU)に加盟。
(↑写真はアイルランドを代表するギネスの看板。黄色いくちばしの鳥は、ギネスのマスコットでトゥーカン。建物はギネス博物館ではなく、ユースホステル近くの交差点にあったもの)

 第一公用語はアイルランド語で、第二が英語だけれども、街の人々は基本英語を話す。しかし言語の保存という面を考慮し、街中の掲示はアイルランド語が上に英語が下に書かれており、メディアでも義務教育でもアイルランド語が使用されているとか。


 Ryanairの格安チケットでミュンヘン(Memmingenという地方空港)−ダブリン間を移動。なんと片道55ユーロ!!が、さすが格安空港会社だけあって職員2名。チェックインカウンターにいたお姉さんが登場手続きをしているのを見てビックリ。おそらく他の乗客の皆さんも不安があったらしく、アイルランドに到着したとき拍手が生まれて、それにもビックリ。噂には聞いていたけれど…本当にやるんだ。

 ダブリンはとにかく食の旅。いえ、別に目指したわけじゃないのだけれど、旅行前のアイルランド知識が飲食物に偏っていたという事実…
 一つ目はギネス。醸造所は博物館も併設していると聞き、行って来ました。ギネスビールの特徴は、一旦ビールを2/3ほど注いで泡が沈殿するのを待った後、更に注ぐというスタイルで、3分ほど時間をかけるということ。入場券にビール一杯分の料金がプラスされており、最終地点で試飲出来るようになっている。まろやかな泡!!だから苦い黒ビールも飲めるのね、と1人納得。
 二つ目は抑えておきたいフィッシュ&チップス。St.Patrickディにアイリッシュパブで食べたそれが美味しかったので、ついに本場でと意気込んでランチタイムに進出。大きめだろうと予想して、サラダも取り、同行した友人と半分づつ。うぐいす豆が添え物。ずんだ豆のように甘くしてある。
 そして三つ目はが、アイリッシュカフェ(珈琲+ウィスキー+生クリーム)。もとの珈琲も美味しいせいか、とっても飲み易かったなぁ。あの珈琲だけはまた飲みたい。
(つまり、あまりお食事が美味しくなかった。当たりが悪かったのかしら。けれどユースの質素なお食事を見る限り、もしかしたらあまり食事に気を使う文化ではないのかもしれないとも思いました)

 緯度が高いせいか、長袖が手放せない寒さ。けれど交通機関はどれも安全で、それほど凍えることもありませんでした。アイリッシュ音楽にもわくわくさせてもらったし。
 観光地で言えば、聖パトリック大聖堂を見学。聖パトリックさんは4世紀、アイルランドにキリスト教を広めた聖人でウェールズ出身。今でも彼の命日(3月17日)にはドイツやアメリカでお祝いがされる。(あの日飲んだ緑のビールは決して忘れない…)で、その彼が祀られているのがこの大聖堂。裏庭は大きな公園になっていて、ブランコにも乗れる〜る〜。それほど天気は良くなかったけれど、ピクニックする人びとの憩いの場になってたなぁ。

 宿はDublin International YHA。市内にはちょっと遠いけど、ダブリンはバスがかなり発達しているので、上手く使えば移動も楽々。ただ朝食が簡素で、パンにコンフレークとドリンクだけ。スクランブルエッグやコーヒーには5ユーロもとるんだから、ユースにしては珍しいわよね。

 そして27日、Stenalineというフェリー会社で、イギリスのHolyheadへ。2時間の船旅。ダブリン側の乗り場、Dun Laoghaireは市内からかなり離れているため余裕を持って電車でゴー。港は、本当に何もない場所。けど久しぶりの潮の匂いにわくわくさせられたわぁ。

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| 23:03 | trip | comments(0) | trackbacks(0) |
アリエッティ

を見るのだと、友人が言っていた。スタジオジブリの作品、もう公開されてるんだ。いいなぁ、私も見たい。Cécile Corbelさんの音楽、ケルト音楽、あの解放的なメロディラインが好き。けれど舞台は日本なのに、どうしてケルト音楽?と思ったら、ファンタジーはもともとケルト文化の流れをくみ、三位一体しか認めないキリスト教文化とは一線を画すからだとか。確かに賛美歌ってイメージでないことは確かだわね。

 そういえば、「借りぐらし」というのは日本的だと思う。確か原作はイギリスだったと思うけど、(作者Mary Nortonは、戦時中の経験談からこの小人シリーズを思いついたらしい)、この感覚は似てるのかしら。

 食事をするとき、「いただきます」と言うと、日本人以外の学生に大抵決まってそれは何?と聞かれる。お祈りだったり、時にはお呪いなのかと聞かれたりして、お呪いって。笑
 「日本では、食事を作ってくれた人や食材を作ってくれた人、食材に感謝してこう言うの」と言うと、「ふーんそうなんだ」とか「面白いわね」とあっさり納得。時々、明らかに実感が湧かないんだろうなぁと分かってしまうような顔が返されたりするから、これはこれで面白い。彼らは、(ドイツ人だったり台湾人だったりアメリカ人だったりするけれど)、食事の挨拶はなし。今まで厳格なキリスト教徒だと名乗る人物には出会ったことがないせいか、食事前のお祈りも普段はしないのが当たり前のような気がしてしまう。まぁお祈りをする場合は、神様に感謝、ということになるのだろうけど。

 何かを頂くということは、自分の手では作り出せないものを借りるという意識なんじゃないかな。人間は死んだら何も手にすることなくこの世を去らなきゃいけないわけで、生きている間は住む場を借り、食べ物を借り、働く場を借り。あらゆるものを借りて、感謝して、世界の大きな流れの一つとして過ごす姿勢はとっても日本的だなと、勝手に思う。禅的。

 けど今は何でも自分の手にすることに拘って、自分のものであるかのように振舞って。自分の部屋に、自分のテレビに、自分のゲーム。けれど、こんなに易々と物が手に入る社会で暮らしていると、「借りぐらし」を実感する方が難しいのかも。

| 19:45 | film and show | comments(0) | trackbacks(0) |
to Rzeczpospolita Polska

 ポーランド共和国

 人口:38,074,000人(2008年)
 面積:312,685km²
 通
貨:ズウォティ(PLN) ※1ユーロ=4ズウォティ
 966年、ポーランド公国としてキリスト教社会に認知されたのが始まり。1025年には王国化。一時期リトアニアとの連合化が起きたり、ワルシャワ公国と名称を変えたり、WWII後は社会主義に組み込まれたり、という歴史を経て、1989年民主化。2004年EUに加盟。
(↑クラクフにあるレストラン。ポーランドの郷土料理Bigos(パンの器に入った、ビーフシチュー)やタルタルスキー(生肉と玉ねぎを混ぜ合わせたもの…?)などはもちろん、様々なウォッカも楽しめる。中はとってもお洒落で、ピアノの生演奏もあり)

 6/26〜30に、ポーランドのアウシュビッツとクラクフへ。公用語はポーランド語。「こんにちはDzień dobry(ヅェィン ドブルィ)」「ありがとうDziękuję(ジェンクイェン)」だけを覚えて出発。文字は可愛らしいし、発音もとっても楽しげだけれど、ゲルマン語派でもイタリック語派でもない、スラブ語派のため、単語を読んでも想像さえつかない。けれど、こうして旅をするなかで実際私が使える言語を使う国の方が少ないのだと思えるようになった。世界には私の知らない言語や文化や伝統がまだまだ沢山あって、そこに行かないと出会えないもので溢れている。それがとても嬉しくて、わくわくさせて、旅に出たくなるうずうずの素なのだろう。


 26日西ヨーロッパ内の主要都市を結ぶeurolinesというバス会社を使って、ニュルンベルグ−クラクフ間を移動。20時、夜泣きに忙しい赤ちゃんと共に13時間のバス旅行がスタート。早速先行き不安…頻繁に灯りを付けられ、やれトイレだ、やれ休憩だと停車の多いこと。喫煙者には良いかもしれないけど、安眠妨害以上の何ものでもない。うーん。更に途中ポーランドの国境にて、コントロールにパスポートを提示する場面で、パスポートを旅行かばんに入れたままトランクルームに預けてしまった友人が顔パスというVIP待遇。日本人はあまり警戒されません。

 27日、勿論みんな寝不足で、朝の8時にクラクフ到着。ナチュラルハイ状態のメンバーは、クラクフ中央駅前のパンが1ヅオチ!!と大騒ぎ(35セントなので、40円位?)物に依るけれど、ドイツと比べると確かに物価は安い。その後ヴィエリチカ岩塩坑へ。時刻表通りというわけにはいかず、バスで中央駅から1時間弱。2.5ズウォティ。ここは世界最古の一つで、自然に出来た岩塩層が発見され採掘に至ったのが13世紀とのこと。中には岩塩を使った教会やシャンデリアがあり、とっても広く涼しい空間。ラピュタのパズーが働いていた炭坑を彷彿とさせる坑内で、塩がきらきら光っている様子はまさに飛行石を見ているかのような気分にさせられる。
 お宿はHostel Oasis。3日間もお世話になったのに、10人という大所帯のためワンフロアをまるっと貸してくれた。駅にも近いし、夜は暗い道だけど大人数で歩けば大丈夫。

 28日は、今回の旅のメインであるアウシュビッツへ。クラカウの駅から電車で一時間半。更に駅から徒歩20分。アウシュビッツにはかつて3つの収容所が作られていたのだが、今現在は第一、第二の収容所だけが残っており、ポーランドの国立博物館になっている。そもそも今回の旅は博物館に、難しい国の試験をパスした日本人ガイドの方(中谷さん)がいらっしゃると聞きつけ計画された。彼のガイドは被害者側、加害者側の両側面からアプローチされていて、どうしてこの惨事に対し(あからさまな抵抗ではなくとも)協力を拒否しなかったのだろうか、という問いがそこかしこに投げかけられる。
 そうすると事は世界全体の問題になる。もちろん戦争に参加した日本も然り。

 ちなみに、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所は1979年に負の世界遺産化。維持費はEUで負担することが決定したらしいけれど、その費用の半額はドイツが出すことを公言しているとか。それは謝罪や反省だけではなく、今後の世界(あらゆる国の、あらゆる文化の若者たち)のために守り伝えていく役目を果たすという目的をもってのことだと言う。
(↑第二収容所のもので、アンネ・フランクもオランダからの最後の列車でここに連れてこられた。線路は奥に写っている建物を通り抜けて手前の停泊所まで続いており、そこで男女に分けられ、更に施設に収容される人、ガス室へ送られる人に分けられた。)

 もうガス室は証拠隠滅を図った当時の管理者によって爆破されているのだけれども、今も壊れたままの状態で保存されている。現在博物館には、「囚人」が植えたポプラの木、刈り取られた毛髪、木造の収容施設、風化しつつある石柱など、当時実際に存在していたものがそのままそこにはあって、けれど時間が経てば、修繕不可能なものは消えることになる。
 「戦争を直接経験してはいない」と形容される世代の私が、ここでこうやって今に繋がる過去を見て、知って、考えて、それを再び後の世代に伝えたい。「戦争を知らない」と形容できる世代のために。


 そうして29日。今回の旅の最終日は、いざWawel城へ。居住区は2時間待ちということで、聖堂とドラゴンの洞窟をぐるり一周。かつて王国だったということだけあって、聖堂は本当に豪奢な造りを見ることが出来る。立派なお墓、お墓、お墓。先日事故で亡くなったカチンスキーさんの棺も安置されていた。
 またクラカウはヨーロッパで最も大きな広場をもつと聞いた。緑も多いし、大きな川も流れている。と言っても、塗装されていない壁がむき出しになっていたりと、まだ街が成長途中で新旧入り混じった街並みを見ることが出来た。

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| 22:49 | trip | comments(0) | trackbacks(0) |
Dokumentationszentrum Reichsparteitagsgelände

 Dokzentrum
(帝国党大会地区 ドキュメントセンター)
 URL : http://www.museen.nuernberg.de/dokuzentrum/

 1933-38年のあいだ、毎年ナツィの党大会が開かれていた会場の跡地、Zeppelinfieldの近くにある。ヒトラーの「ドイツに未だかつてない雄大な建築物を築こう」という意図により計画された円形の建築物は、ローマのコロッセオをモデルに建造されていたものの、未完成のまま終戦を迎え、その一部が今は資料館として利用されている。
(↑ 黒いポスターに書かれた文字。"Faszionation und Gewalt" 魅惑と暴力
 ナツィのプロパガンダを示しているのかな、おそらく展示のタイトルだったのではないかと)


 DBのチケット割引の素晴らしさの一つに、Tagesticktがある。これは一日乗車券の1人用。その日一日、出発地と目的地のあいだを何往復でも出来る。そしてTagesticketプラスワンもあり、これは2人用。そして、このTagesticket。週末だと2日間有効になるというお買い得チケット。つまり土曜日に乗ると、日曜日も使える。このシステムを既に知っていた友人が、土曜日Nürnbergへ行った帰り、明日もまたNürnbergのDokzentrumへ行こうと誘ってくれた。中央駅からトラムで約15分。
 歴史あるカイザーブルグが残り、綺麗な教会や広場、イベントも多いNürnberg。けれどその一方で、かの悪名高き「ニュルンベルグ法」や24人の戦犯が裁かれた「ニュルンベルグ裁判」など、ナツィとの関わりが色濃かった都市であることも事実。中央駅の周りしか見ていなかった私は、ここに来て街の多層性を知り、もう一歩ドイツの奥に足を進めた気がした。

 本来、入館料は5ユーロかかるらしいのだけれど、偶然行った日が博物館の日だったとかで無料。館内ではリスニングガイド(英、独、仏、西、ポルトガル語)を借りることが可能だけれど、これも無料。友人と私はドイツ語のものを借りました。そうすると、ヒトラーの肉声を聞くことが出来る。(というのは後から知ったこと)解説の多くは展示物の脇に明文化されているものと同じ内容なので、集中力が保てば大丈夫。その内容はナツィの権力掌握、戦争過程、戦後の裁判で、順を追うように資料や解説、ビデオが配置されている。

 私が暮らす街の中央広場でも行われていた焚書。
 強制労働で石切をしたおじさんの証言。
 ニュルンベルグ裁判における法廷の様子。

 全て回りきるのに2時間前後といったところだろうか。笑顔で右手を上げる人々が大挙するフィルムに寒気を感じた。本当に怖かった。
 歴史資料館ではあるものの、加害者としての側面を強調しているように思えた。それがまたドイツの第二次世界大戦に対する姿勢を表しているようにも見えた。

| 22:31 | trip | comments(0) | trackbacks(0) |
今週、私がごみ当番です。

 寮の部屋の扉→
(2階在住なのに、608号室。そうそうドイツは欧米圏ルールに則り、日本で言う2階が1階になり、日本で言う1階は地階と呼ばれる)。

 で、今週の頭に「Mülldienst」看板がぺたりと貼り付けられていた。看板にある写真はごみ収集BOXが大爆発!?多分ごみ当番よね?と思い、我が寮のボス、Peterのもとへ。彼はインターネットを繋げてくれたり(繋がらなかったけど)、パーティを催してくれたりする学生代表みたいな立場にある人で、留学生仲間のあいだでは敬愛を込めて「パパ」と呼んでいる。

 その通り、ごみ当番の看板だったよ。(そもそもMulldienst自体は「ごみ当番」を表す。友人のWGは「ゴミ」とだけ書かれた看板が使われているらしく、初め見たときはいじめかと思ったそう…そりゃそうだよね)
 13人も住んでいるとゴミはあっという間に溜まるし、なのにごみ収集所は建物の外だし!という情況なので、毎日こまめに「昨日は紙ごみ、今日は緑のビン、明日は茶色のビン」と分類して捨てるしかないわね。ドイツのゴミ分別は、日本ほど細かくはない、と思う。(地域によるのだろうけど)基本は緑・白・茶のビン、缶、生ゴミ、紙、ビニール、その他。ただリサイクルがしっかりされている分類の仕方だなと感じさせるわけ方だよね。分類はね。細かく分ける人もいれば、全部その他に入れちゃう人もいる。共同だからこそ目に付く部分。おーい。

| 23:04 | private | comments(0) | trackbacks(0) |
お祝い事

 一昨日、ある友人から一通のメールを受け取った。
「私、結婚することに相成りました」
 …え!!年齢的にもおかしくないし、実際私の周りにも数人既婚者はいるわけですが。
 彼女もドイツ在住。留学中に恋に落ちた彼と、自分自身の将来のために渡独し、今は日本語教師の職を探しつつ彼と暮らしてる。で、結婚。お披露目パーティは5月。いいねぇ、結婚とはなんだか幸せの代名詞のように聞こえる。けど、結婚。もう何組か結婚しているというのに、未だに結婚とは何なのかが分からない。私が学生だからなのか、まだ馴染みがないからなのか。

 続いて昨日。妹ちゃんからメールが。
「朗報です。今日、内定貰いました。しゅーかつ終わり!!」
 あなたも。すごいねぇ。

 そして今日、4年ほど前Jonathans'で働いていたときの友人から、昨夜に無事出産を終えたとの報告を受けた。3134弔僚の子。もう絶対かわいい!!
 彼女は去年結婚をして、その式にも出席して、大きくなってゆくお腹も見ていたので感慨深い。すぐ駆けつけることの出来ない、直接おめでとうの言えない距離がもどかしいけれど、距離は離れていても連絡をもらえて、お祝いの言葉を伝えられる環境で本当に幸せだなぁ。


 20歳過ぎてからは転げ落ちるように、とよく先生が言っていたものだけれど、本当に時間が過ぎるのが早くて。私も後一ヶ月で25歳になる。あらまぁ。
 随分昔から、ハッキリとは思い出せないほど子どもの頃から、私の女ざかりは32歳だ!と思い込んでいる。その思い込みの根拠は思い出せないのだけれど…まぁ山口智子さんの影響なのかな。回顧的錯覚かもしれないけれど、ロング・バケーションとか29歳のクリスマスとかの印象が色濃く残っていたのかと。
 ロンバケが放映されていたのは1996年。と言えば、私は10歳!小学生にとっては20歳の人でさえ大人に見えるけれど、当時の私の目の前にいた山口さんはとっても格好良かったから、32歳の力強くてしなやかな姿勢に憧れたんだろうな、と今更ながらに思う。うん、本当にステキな人です。
 この32歳というのは単に数字の問題ではなくて、「力強くてしなやかな」女性を目指してきたってことなんだなぁと今改めて納得。32歳まで残すところ後7年。
 先生には10代が20代をつくる、20代が30代をつくると言われてきた。友人の中にはもう社会人何年目という人、結婚をした人、親になった人、学者を目指して進学・留学をした人もいて。その一方で、ステディな彼がいるわけでもなく、ただ学生として留学している私もいるわけで。人によって時間の進みや、その歩み方はバラバラだなぁ、なんて思う。
 きっと前だったら焦ったり置いてきぼりにされたかのように感じたのだろうけれど、今はこれが私の生き方なんだと余裕が持てるようになった。これが大人になる、ということなら、変化するのも悪くないよね。

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